FIND OUT




 思えば、くだらなくも甘い日々。



  
Dahlia



 ひぃの買ってきた専門的な雑誌を、ふーんって気分で斜め読みをしていたら、隣にひぃが座った。
「これ?」
 という意味で、雑誌を少し持ち上げる。
「いや」
 と声に出さず、ひぃが持って来ていた雑誌を見せる。
 そしてそのまま、無言で雑誌に目を落とす。
(言葉がいらない関係ってこんなか)
 昔憧れたことを知らぬ間に手に入れている自分に、奇妙な感情を抱く。
 まるで音も時間もなくしたような感覚。
 この場所は完結しすぎている。
 完璧であり、小さく脆い。
 それが、悪いことだとは思わないけれど。
 居心地の良さと、いるべき場所ではないという、相反する主張。
 機械的にページを手がめくる。
 ……あれ、今のページ、私読んでないよな。まあ、いいけど。
 集中力なんて始めから切れていて、なんとなくやることをなくしたように、壁に掛けられていたカレンダーを見つめる。花の写真で飾られた、日常性の代表。
 私は、日常を知覚するのが下手だ。
 数字の羅列を目で追いながら、何かが思考にひっかかる。
 ……今日、何日だ?


「――――――あっ!」
 自分の声が一気に覚醒した頭に反響する。
 隣でひぃが目を丸くしてこっちを凝視する。
「……奈千佳?」
「今日何日っていうか、22日っていつ!?」
 自分でも吃驚するぐらいの勢いで、ひぃの肩を揺する。
「明日、だけど」
 ひぃの答えに私は真面目に頭を抱える。
 油断した。
 本気で油断してた。いつもこの時期は忙しいし、ていうか、今までは日付を意識しまくる生活をしてたから、別段気にしなくても目に入ってたし、それがなくなった反動か。
 って、挙動不審しながら分析している場合でもなくて。
「な、なにかあったのか……?」
「ありまくり!」
 とりあえず、ひぃの雑誌を机に戻して、ダッシュで自分の部屋に戻る。途中、部屋から出てきた夜人君が、ひぃと同じような顔してぽかんとしてたけど、そんな場合でもない。
 鞄に入れっぱなしの財布を確認する。
 げ、ほとんど入ってねえ。いいや、カードだ、カード。
 上着を引っ張り出し、外に出るのに恥ずかしくない格好に着替え、面倒だから化粧はなし。5分で準備を整えリビングの二人に、
「じゃ、出かけてくる! たぶん明日帰るよ!」
 と、右手を挙げてUターン。
 なんかひぃが叫んでいる気もするけど、耳に入らない。
 帰ったらひぃの気がすむまで、何パターンでも言い訳をしてやるよ!
 廊下を走っていると、ちょうど帰ってきたらしい志乃ちゃんと擦れ違う。私を見つけて笑顔の志乃ちゃんはかわいいけど、だからそれどころじゃない。
「奈千佳ちゃん、どこか行く……」
「ごめん、あとで!」
 猛ダッシュで擦れ違いながら叫ぶ。
「……の?」
 振り向いた志乃ちゃんの呆然とした顔を想像して、少し悪い気になったけどそのまま無視してちょうど閉まりかけていたエレベーターに突っ込む。
 ドアが閉まる直前志乃ちゃんの顔が見れたけど、笑い返す前に閉まってしまった。
 ああ、言い訳がまた増える。

 エレベーターに運ばれて一階についたと同時に飛び出し、そのまま走る。
 メロスだ!メロスになるんだ!
 運動不足に猛ダッシュは辛い。
 しかし、もう時間は夕刻。急がねば。
 目の前が駅だっていうのは、本当に便利だ。猛ダッシュで迷惑そうな顔ををされながら駅の中を激走。
 通い慣れた電車に滑り込んで一息。
 ひぃの家に来てから、どれだけこの電車に乗っただろう。
 入り口脇の定位置に収まりながら、見覚えのある風景が流れていくのを見つめる。
(……さて、なんて言い訳するかな)
 いくつかパターンを考えながら、窓の向こうを流れるひぃの住むマンションを見つめた。夕日に照らされて浮き出るシルエットを見て、なぜだか泣きたくなる。
 離れていくそのマンションにもう二度と戻れないならどうなるだろう。
 もう二度と、あの場所から離れられなくなったらどうなるだろう。
 結局、私は蝙蝠のようななのものか。
 自分で考えて自分で笑う。
 なんだそれは。馬鹿馬鹿しい。
 すっかりマンションは見えなくなり、言い訳のバリエーションにまた意識を戻した。

(――……ああ、なんだ、言葉がなくちゃ結局駄目じゃん)




 ***



 仕事に追われる日常というのも悪くない。
 まして、限りなく趣味に近い仕事ならば。
 とうに日はどっぷりと堕ちて、仕事場の時計は十時に達しようとしている。今日も残業、楽しい残業。
 ……最近疲れているな、俺。
 それはともかく。
 ため息とともに、再び集中の糸を張り直そうとしたときだった。
 軽快な機械音と振動がデスクを揺らす。
 誰だ、こんなくそ忌々しいタイミングでメールしてくる馬鹿は。
 と、放置しようかと思ったが思い直したのは、携帯のサブディスプレイが特殊な色で光っているからで。
(――――――奈千佳?)
 が、なぜ。
 ふざけて固定の着信音と画像に変えたままだった。高校の時からか。
 今まで、こんな風に唐突に連絡が来ることはなかったのに。
 必要な連絡しかしなくなったのはいつからか。ただのクラスメイトで、友人であったことすらなかったように。
 気がついたら仕事も放り出してメールを開いていた。

『仕事が終わり次第、いかなる時間であっても、至急ウチに来ること。以上』

「は?」
 思わず口から出た声は、意外と大きな買ったらしい。
「吉田さん、どうかしました?」
「あ、いや、すみません。なんでもないです」
 同僚が怪訝な顔をしながら去っていく。背中には仕事サボって私用メールかよ!と書かれていた気もするが、まったくもっとその通りなので、俺は大人しく仕事に戻る。
(なんなんだ、いきなり……)
 その後も集中できなくて残業がいつもの倍近い時間かかったのは……とりあえずあいつのせいにしておこう。


 すでに時刻は午前。
 一応、こんな時間だかいいのかというメールはしたんだが、返信は同じメールの再送だった。
 いいから来い、ということらしい。
 ていうか、こんな深夜に一人暮らしの女の家に入るって。いや、問題はないけど。あるわけもないけど。
 何度目かわからないため息をついて、奈千佳の家のインターホンを鳴らす。
 すぐに家の中から人の動く気配がして、ドアが勢いよく開く。
 奈千佳は無言だ。
「……あー、ええと、遅くなった」
 ごめんを付け足すべきか迷ってやめる。こんな時間でもいいと言ったのはこいつだ。
 無言のままの奈千佳にあごで促されて部屋に入る。
 ……ちょっと待て、俺、怒らせるようなことをしただろうか。
 俺が大人しく部屋にはいると、そこは奈千佳の部屋かというぐらいきれいだった。掃除嫌いな奈千佳の部屋がきれいに片付いているなんて、超レアだ。なんの奇跡だ。
 驚いて部屋を見回していると、奈千佳が俺の肩を叩く。
 振り向いた俺の視界を埋める謎の物体A。
「……え?」
「誕生日おめでとう、あさやん」
 目の前に突き出されたのはプレゼントだったのか。
 いきなり昔のあだ名を呼ばれて、混乱した頭でそれを受け取る。
 いやー若かった、若かった、俺。ペンネームのあだ名で呼ばれるなんて、こんなにこっぱずかしいことだとは思わなかった。
 ……って現実逃避している場合ではありませんね、ハイ。
「あ、ええと、ありがとう」
「いえいえ、どーいたしまして」
 やっと。
 やっと、奈千佳が笑った。いつものように、子供のように。
 無意識に緊張していたらしい。ほっと息を吐くと、口元が自然と緩む。
「開けなよ」
 奈千佳に促されてプレゼントの包みを開ける。
 丁寧に開けるのは、奈千佳がこういう包装紙を大事にする奴だからだ。
 渋い緑の包みの中から現れたのは、同じような渋い色をした缶。表面に書かれた文字を読んで、俺は自然と笑う。
「ダージリンか。ありかとう、奈千佳」
「いえいえー」
 満足したように奈千佳が笑う。それから、テーブルにおかれていたグラスとワインを指さして、首を傾げる。
 見馴れた動作に、俺は笑って頷く。


 変わってしまった俺たちが、
 あの頃と変わらないかのように笑いあう。
 それはとても滑稽で、
 そしてとても幸福なんだろう。
 傾けたグラスがきれいな音を立てた。



 そして翌日、徹夜して飲み明かした結果、仕事でミスを散々繰り返して大目玉を食ったのは、やはり奈千佳のせいにしておく。

 半分ぐらいは。





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