FIND OUT



 正月が過ぎて、ばたばたと世間が動き出した頃。
 一応、世間の枠組みに含まれる大学生であるひぃと那波君と志乃ちゃんは、それなりにどたばたしている。
 うーん、学校かー懐かしいなあ。
 そんな感慨にふけるほどの思い入れが母校にあるわけでもないけれど、なんとなく思い出す。やけに樹の多い学校だった。わりと解放されていて、小さなお子さま連れの奥様が日光浴に入ってくるのも珍しい光景でなかった。
 昼休み明けの食べものの匂いが残る教室。しんとした図書館。
 ごろん、と与えられたベッドの上を転がる。子供の頃から(いちねんはまなか、なんて書いてあるから小学生の頃からだと思う)使っているタオルケットに顔をうずめる。
 この文字を見たときひぃが苦笑していたっけ。それでそんなに昔から使ってるんですか、と那波君が驚いて、志乃ちゃんが感心していた。
「むー……」
 ふかふかというわけではないけど、こうしていると安心する。
 ごろん。タオルケットを丸めて抱えたまま寝返り。
 ごろん。
 ごろんごろん。
「っわ」
 落ちかけた。
 よろよろとベッドの中央に戻って、今度は丸めていたタオルケットを開いてくるまる。
 眼を閉じる。
 別に眠りたいわけじゃない。
 ぼんやりと記憶を辿る。
 あれはまだ、じりじりとこがす太陽が頭上に残っていた季節。残夏。
 暖められたコンクリートの上。茶色い髪が太陽に光に透ける。
 出会ったのはそれが最初。
 それから、那波君に会って志乃ちゃんに会って、二人をくっつけようと思って……ああ、そういえばそんな目的があったんだっけ。なんかいろいろあって忘れちゃってたなあ。
 繰り返す反芻。
 呼ばれる声が耳に残っている。
 手に触れた感触はもう日常に埋もれて消えてしまったけど、落ちる太陽と影になったひぃの顔、一瞬の情景が写真のように焼きついている。
 あーそういえば、今度誰かを家に連れてくるって言ってたっけ。ええと、そう、後輩。
 そうして少しずつ変わっていく日常。
 変化していくのは。
 彼らなのか、私なのか、それとも誰もがなのか。

 不意に、懐かしい横顔がよぎる。
 あなたは変わりすぎだけどね。

 眼を閉じたまま笑う。
 呼ばれる声が甦る。
「奈千佳」
 びく、と身体が震える。急速に現実に引き戻されて、途惑った手が枕元の目覚まし時計を落とした。
「……奈千佳、どうした?」
 うわ。
 手が震えている。心臓が悲鳴を上げている。
 悪夢から解放された瞬間のような。
 微睡みから放り出されたから。
「…………なんでもない」
「奈千佳?」
 絞り出した声はドアに阻まれてひぃには届かなかったようだ。
「なんでもないよ。ちょっと寝ぼけて時計落としただけ」
 手を握って開く。
 大丈夫落ち着いてきた。
「どうぞー?」
 ドアに向かって声をかけると、すぐに開いてひぃが入ってくる。
 彼は、許しなしには入ってこない。那波君の部屋には声をかけると同時に入ってるのにね。
 その辺りを追求しようとすれば、きっと男女の違いだのなんだのと言うだろうけど。それはごもっともなんだけど。
「あははー見て見て、ほら、震えてるー」
 私の手を見て、ひぃは顔をしかめる。
「……なにか、あったのか?」
「んーん、別に。急に起こされたりすると良くこうなるんだよ。携帯の着信音とかね」
「悪かった」
 あらま。
 なんかひぃって真面目だよなあ。
「謝ることなんてないって。いつものことだし? ていうか、なんの用だったの?」
「ああ、ケーキ買ってきたから食うかって」
「くうくうー! ケーキ!」
 ケーキに反応して速攻で立ち上がった私を見て、ひぃが苦笑する。
 うん、ひぃにはその苦笑が似合ってるよ。

 なんの感情も見せない顔なんて、彼には似合わない。


 ……あれ?
「奈千佳?」
 部屋から勢い込んで出ようとした私の足が止まる。
 振り返って、不思議そうに私を見ているひぃを見る。
「ひぃって、ずっとここに住んでるんだよね?」
「……そうだけど?」
 怪訝そうな声。
「うん、いや、なんでもない。ちょっと気になっただけ」
 とりあえず、今はケーキだ。
 糖分摂取してちゃんと考えよう。


***

 怪我をした彼を見たのは、私がわりとよく使う駅だった。
 つまり最寄り駅。
 その雑踏を眺めながら植え込みに座っていた。冬が開けたばかりで日が沈むのはまだ早い。そろそろ日が暮れるなと、腕時計を見た。
 別にあの時は、愛人探そうとか考えていたわけでもなくて、出掛けた帰りにちょっと立ち止まりたくなったからで、なんとなく目の前を行き交う人の流れを目で追っていた。
 目にとまったのは一人の青年。
 安定しない足取りで人とぶつかりながら歩いていた。服はどこも汚れていて、前を見ている表情は酷く疲れている。遭難した人はこんな顔をしているだろうかと思った。
 その横顔を眺めていたら、視線に気がついたのか彼が足を止めて振り向いた。
 怪我をしていると気付いたのはその時。
 普段なら、すぐに目をそらしてしまうところだけど、なぜかこの時は。
 琥珀に似た瞳の色をまっすぐに見た。
「……となり、どうですか」
 私の喉から自然と声が出る。驚いた。
 彼は一瞬顔を伏せて、それからゆっくりと私の隣に座った。
 彼はずっと俯いて項垂れていた。
 泣いているのかもしれないと思った。
 それから時計の長針が何周かして、行き交う人の姿も減ってきた頃、彼がようやく顔を上げた。
 顔を上げる気配がした。
「俺、」
 彼を振り向く。顔を上げてどこを見ているのかはわからなかった。
 彼の瞳が不自然にさ迷い、誰かを捜していた。
「……帰らないと」
 探している誰かはここにはいないのだろう。
「うん。帰ってあげないと」
 出来るだけ穏やかな声で、私は言った。
 ゆっくりと彼は立ち上がり、小さく頭を下げて歩きだした。
 彼は一度だけ振り返ったけれど、すぐに前を向いて駅の中へと消えていった。


***

 生クリームの甘い味が口に広がる。
 目の前で本を読んでいるひぃの顔を眺める。

 ……やっぱり、あれはひぃだったんだろうか。

 私の視線に気付いたのか、ひぃが顔を上げる。
「どうかしたか?」
「んーん」
 ぱくり、とケーキを一口。
 うん、甘い。


 ケーキの甘さにほだされながら、まあ別に、彼がひぃでもそうじゃなくても、別にいいかなと思ったのでした。マル。




 * 戻る *