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「それじゃ。買い物宜しくな」
「おう」
本日大晦日。大掃除は済んだし、御節も作った。今年は志乃が頑張ってほとんどやってくれて助かった。年賀状も出した。
あとは生ものと、正月用の箸。それと新年の挨拶周りのためのお年賀を揃えれば今年の仕事は終わりだ。
夜人は相変わらずの掃除下手で、俺は買い物を押し付ける代わりに一昨日夜人の部屋を大掃除した。
志乃は自分の家のことが面倒なのか何なのか、連日家に朝からいる。夜人一人に買い物は不安だと、一緒についていったのだ。
「ひぃ。あれ?那波君は?」
「志乃と一緒に買い物」
リビングにあるソファの上で寝転んでだれている俺に台所から奈千佳が声をかけた。多分頼んでおいた数の子の塩抜きの水を替えていたのだろう。
「ふーん」
まるで俺と二人きりのことを確認するかのような返事。俺は一体なにかしてしまっただろうか。千葉鼠海に行く約束をすっかり忘れていたことか。それとも勝手に季節限定プリンを勝手に食べたことか。
「ねえ。柊」
…………今なんて言いました?
「何か飲む?」
「……奈千佳。今俺のことなんて呼んだ」
「ひぃ。だよ」
聞き間違い……か
「で。何か飲む?」
「あー……ウーロン茶くれ」
台所から聞こえる冷蔵庫を開ける音。ガラスのコップを出す音。そこに液体を入れる音。奈千佳が普段立てることのない音達。
「はい」
奈千佳は俺にウーロン茶の入ったコップを渡すとそのまま俺の側にストンと体育座りをした。
少しゆっくりとしたリズムを刻むようにゆれる体を眺めながらこぼさないように液体を口に含む。
「ねぇ。ひぃ」
決して夜人や志乃じゃ得られない空間。
「ひぃって。志乃ちゃんとキスしたかったの?」
「……は?」
お互いがお互いに一歩はなれて手を繋いでいるような空間。
「だから。志乃ちゃんとキスしたかったんでしょうかひぃ君よ」
その手を握り締められた気がした。
「いや、その。文法がおかしい」
「突っ込むとこはそこかよ」
目の前でリズムをとるその体からは表情はわからない。変わらずに刻まれているようで、変わっているようで。
「……知りたいのか?」
「すごく」
即答で答えないで下さい奈千佳さん。
奈千佳は俺の言葉を待っている。それはいくら俺でもわかる。
あんまり、話したいとは思ってなかったんだがな。こういう俺と誰かにかかわる話は。
「よっこいっしょ」
後ろから抱きかかえるように奈千佳の体に腕を回し、そのまま背中に額をつけた。ほんのり甘い香りがする。
「正直自分からキスしたいと思ったこともそうなったこともない」
ゆるんだ腕の中でゆれる奈千佳の体は、段々リズムを遅くしていく。
「志乃が言い出したことはある」
ぴたり、と止まった。
「でもしなかった。もし、志乃が本当に望んだらしていたと思う」
そして奈千佳はまた体をゆらし始めた。
「ふーん」
「……納得、したか?」
しばらく、ゆれていた体が再び止まる。
「じゃー私としてみる?」
視界がぐらりと揺れた。奈千佳の口からそんな言葉が出ること事体予想外っていうか考えもしていなかったっていうか。こいつ本気か?
「キス?」
「うん」
抑揚は一切変わらない。
本気、か。
「いいよ。しようか」
まわしていた手をそっと顎に添えて振り向かせ、顔を近づけようとした。ふっと奈千佳の目が細まった。
「奈千佳?」
視界に入った灰色の本を認識して、思わずそのままの状態で固まる。
「それ以上近づいたらこれ投げるよ、変態ひぃ君」
少しだけ目をそらすと、奈千佳の手にはウーロン茶の入ったコップではなく広辞苑が握られていた。
「奈千佳」
奈千佳の笑顔は崩されない。
「やだな。冗談だよ、全部」
あーはいはいはいはい。そういうことね。そういうことなんですね。
そして
俺と奈千佳の空間は
変わらず一歩分の距離を持って
手を繋いでいる。