FIND OUT
しんとした夕暮れ。
遠くから、郷愁を呼ぶ子どもの声が響く。世界は音に満ちた静寂の中にある。
(……心臓が浸食される)
まいったな、と目の前のひぃに気付かれないようなため息をつく。彼は青い清潔そうなカーペットの上に座って、もくもくと雑誌を読んでいる。
最初のころはそれでも私がこうやって、部屋のすみでタオルケットにくるまって特に何もせずに一点を見つめていると心配されたものだけど、今では慣れてくれたらしい。(もっともそうしょっちゅうしないし)
体育座りよろしく立てた膝に両手を置いて、私はひぃの足元を見つめている。別に彼の足を見ているんじゃなくて、視線の先にちょうど彼の足があるだけだ。
ぱらり、と雑誌をめくる音がする。
夕日の色で満たされた空間。黄昏。逢魔が時。言い方はいくらでもある。昼と夜が口づけをかわし、窓ガラスの向こうで高層ビルが墓標のように沈黙する。満たされる退廃。
(ああ、だから……)
もう一度、意識をして息を吐き出す。もうすぐ珍しく出かけていた那波君も帰ってくるだろうし、志乃ちゃんが来るだろう。そんなときまで、このテンションを引きずる訳にはいかない。
「……ひぃ」
私は特に話題もなく彼の名前を呼ぶ。
「ん?」
彼がゆっくりとした動作で雑誌から顔を上げる。
いつの間にか耳慣れた声。
――彼らは不安定に安定していたんですよ
じっとひぃの顔を見つめる。琥珀色の瞳。
まっすぐに私を見返しながら、少しずつ怪訝そうな色が生まれていく。
「奈千佳?」
ぱさり、と彼が雑誌を床に置いて立ち上がる。どうした?と訴える顔。
目の前でかがんで、私の顔を覗き込む。
「……あのさ」
彼は気付いていない。
「夜人君って」
私がその名を呼ぶとき、嫌そうな顔を一瞬する。
「夜人がどうした?」
最もそれは一瞬で、すぐに心配そうに真剣そうなそんな表情になるから、私は首を左右に振って少し笑う。
「……なんでもない」
なんだかもう、冗談ではなくなってきたみたいだ。
***
時々、ふらりと思い出したように吉田さんに会いに行く。というか、呼び出されて。
……これじゃあ、前と何も変わっていないじゃないか。帰る場所が違うこと以外は――ってずいぶん違うか。
そんなことを考えながら吉田さんと無言で向き合う。彼と会うときは、たいてい無言か彼のため息から始まる。
「戻る気はないんですか、浜中さん」
ぽつりと吉田さんが言った。
「……まだ何も起きてませんから」
ため息。
「……別に無理に何か期待しなくても、あなたなら」
「吉田さん」
続く言葉を聞きたくなくて、硬い声で彼の名前を呼ぶ。
「彼らは不安定に安定していたんですよ。……わかるかな、すごく不安定なところにあるのに彼ら自身は安定している。彼らの世界は彼らだけで完結していたんです」
「だったらなおさらあなたがいる必要はないでしょう?」
吉田さんの言い方がきつくなる。
彼は、彼の信念を持っていて彼の考えがあって、彼だけの揺るぎないものがあって、だから彼は私を傷つける覚悟で挑んでいる。
彼はそういう人だ。
でも、私は傷つかない。
「吉田さん、私はそんな彼らの中に入ってしまった。彼らは私を受け入れてしまった。これは責任なんですよ、今更抜けることはできない。彼らの変化をどんな結果であれ、私が、受け止めなくてはならない。……仕事とかは二の次なんですよ」
吉田さんが私を睨む。
あなたが私を傷つけてもやり遂げたいというならば、私も同じ覚悟であなたと向き合う。
それは責任とかじゃなく、単なる意地でもあるけれど。
「もちろん仕事はします。いいモノができるだろうし。でも、それはたんなる予想です。たとえ仕事になりそうになくても私は戻りません」
これが私の覚悟。
さぁ、受け取れ、吉田一樹。